この問題はかなり前から個人的に抱えている問題です。
そしてこれから先も問題が解決することは99%あり得ないと思っています。
特別な出来事があったわけではないのですが、不思議なことに1度思いつくとずっと気にかかって解消されません。
人間って不思議です。
問題点
それでは主題にはいります。
みなさん電車は利用されますか?
朝の出勤の時間帯であれば多くの人がこの状況に直面しているはずです。
直面したその時に、ヒトのモラルや人間性が出るなと思うんですよね。
まず電車を降りるとホームがあります。
ホームと改札口の階が異なる駅だとエスカレーターを使用しますよね。
エスカレーターに乗るため、並びます。
当然、朝は人がごった返しなので、長蛇の列になるわけです。
ここまでは、なんの問題もありません。
気になるのはこの次の状況です。
1本後の電車から降りてきた人が、その長蛇の列を無視して、我こそはと横から割り込んできます。
待っている人の行列などの途中に強引に押し入ること。
その結果一列に並んでいたにも関わらず扇形に広がってしまいます。
これでは列の後ろに並んでいた方が、後の電車で来た人よりも遅くなります。
ふと思ったことではありますが、もはや許せない気持ちになっています。
わたしの目の前でことが起きても絶対に入れないという覚悟で並んでいます。
心が小さいですかね。笑
状況が異なると…
ただ、買い物に例えてみてください。
お会計のため、レジに並んでる人がいるのに、その列に割って入ってくる人と同じではないでしょうか。
割り込む人の立場で考えてください。
割り込まれる人の立場で考えてください。
どちらの立場でも買い物であれば、当然割り込みなんてしません。
まとめ
電車と買い物で状況は異なりますが、根本は一緒だと思います。
ルール化されていない、一人ひとりの思いやりの心や相手のことを考えられる想像力から成る暗黙のルールのようなものを、自分事として感じられるか感じられないかです。
そして多くの人は感じられる力をもっていると思います。
なぜなら買い物のときに、割り込みをせずに並ぶという選択ができる意思を持ち合わせているからです。
仮にルールや罰則で割り込みのない状況を強制的に作り上げること自体は可能です。
ただ、強制されて致し方なく実行するのではなく、一人ひとりの道徳心やモラルによって自然に割り込みのない状況を作りだせるようになれば、それは人の真価だと思います。
最後に
わたしは絶対、割り込みをしません。
最後尾に並びます。